慈眼寺の歴史
二度の火災を越えて。
旗下山 慈眼寺(きかざんじげんじ)は、1234年 文暦元年の鎌倉時代より続く秩父札所曹洞宗の寺院。
その長い歴史の中で二度、大きな火災に見舞われました。
寛政の頃(1789~1801年)
間口七間、奥行き七間という大きな御堂が、火災によって焼失しました。
しかし、江戸の地で広く寄進を募った全隆興道の尽力などによって、焼け落ちた御堂は再び建立されました。
人々の信仰によって、一度失われた御堂が再び甦ったのです。
そして、
明治11年(1878年)
秩父市街の約4万坪を焼き尽くした**「秩父大火」**によって、御堂は再び焼失しました。
建物が失われても、祈りは残る。
お堂は焼けても、
祈りまで焼けることはありませんでした。
何度失われても、
人々はまた手を合わせ、
この場所を守り、
次の世代へと受け渡してきました。
慈眼寺に今も残るのは、
古い建物だけではありません。
何百年もの間、人から人へと受け継がれてきた祈りです。
日本百観音の祈り。
現在、秩父三十四観音霊場は、西国三十三所、坂東三十三箇所とともに、
「日本百観音」の一つに数えられています。
その十三番札所として、長い年月にわたって観音様への祈りを受け継いできました。
遠くから訪れる巡礼者も、日々の暮らしの中で手を合わせる人も。
それぞれの時代、
それぞれの人が、
ここで観音様と向き合ってきました。
慈眼寺は、これからもそんな場所でありたいと願っています。
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